(1)、胸水の除去量については具的状況による話であって論者によって述べることは多少の相違が生じるのは当然であるが、意見書添付の文献1(三一九右欄)によれば、「大量
の胸水貯留症例では一度に多量の排液を行えば循環障害によるショックや再膨張性肺水腫をきたすので、一○○○前以下にとどめ、全量
の排液には半日以上をかけたい」というのであって、要するに一度に(短時間内に)多量
の排液を行うのは危険であるから、そのばあいは一、○○○ml以下にとどめ、それ以上の量
のばあいについてはゆっくりと時間を掛けて行うべきであるというのであって、畢意、その排液量
については、その必要性と術者の手技との兼合の問題と言わねばならないのである。
そこで、まづ必要性の問題であるが、胸水除去に引続き胸膜癒看術を実施しなければならない場合(癌性胸水のばあいはそれに該当する)、胸水が胸腔内に残留していては実施
しえないのであって、文献1(三二○頁左欄)が述べているように、このばあいは「胸水をできるだけ排除」しなければ「肺の再膨張が不良で胸腔閉鎖が不十分な症例では胸膜癒看が困難」なのである。
そのため被告医師は亡淑子の入院当日の平成八年三月二五日、一七○○mlの胸水を除去したが、これは胸水全部を除去して胸腔を閉鎖すれば薬剤によらずそれだけで自然に胸膜に癒着を生ずる場合がありうるのでそれに期待したからであったが、期待通
りに行かずその後再び胸水が貯留して来たので、
(umi 残念ながら、自然にくっつかないそうですよ。自己弁護、事細かに詭弁書いてこられていますね)
薬剤による胸膜癒着術を実施するため四月一三日には一八○○mlを排液したのであって、別
段問題とされる余地はないのである。
つぎに、手技の点につき述べると、被告医師は過去二○年以上にわたり癌性胸水の除去を何百例と実
施して来て手技には習熟しているが、同被告医師は最も安全な方法として、注射筒使用し三○mlくらいを分割して排液する方法に依り、患者に話しかけ様子を観察し、或は脈拍や血圧を測定しながらゆっくりと時間をかけて実施したのであって、この間亡淑子には特段の異状は認められず、実施後も何の異変もなかったのであって、その専門分野から判断しても経験に乏しいと思われる意見書作成者から
「極めて杜撰な体制の下に危険な処が行われていた」などと言い掛られる理由は全くないのである。